別子銅山で産出された銅を大阪に運ぶ港として開かれた「口屋」を起点ににぎわった商店街というテーマを通して、街の発展とともに移り変わる景色や人の流れを追いました。
昭和通り
昭和通りに面した銀ビル商店街。頭上看板のこのロゴは、銀ビルの頭文字Gと白鳥を彷彿とさせ、往時を偲ばせる。昭和6年(1931)に工場への運搬をも担う東西の大動脈として開通した昭和通り。未来の新居浜繁栄への基盤として整備されたこの通りには「共存橋」「共栄橋」が架かり、別子銅山とともに発展した住友企業の地域社会への思いが読み取れる。レトロな街灯が続く昭和通りには老舗店舗や真新しいショップが立ち並び、秋の「新居浜太鼓祭り」では県内外からの見物客で賑わう。
登り道
別子(べっし)銅山で産出された銅を大阪に運ぶ港として元禄15年(1702)に新居浜浦に開かれた口屋(くちや)。交通の要、物流の中継地として新居浜の文化を牽引してきた。銅山から口屋まで続く一本道は「登り道」と命名され、人や物が南北に往き交う大動脈となった。昭和45年(1970)にアーケードが完成した「登り道サンロード」。多くの商店、映画館、飲食店が立ち並ぶかつての銅の道に、人々は明日の夢や憧憬を語り、集った。銅山が閉じ半世紀。今も面影を残すアーケードを南に抜けると、あかがねの峰々が変わらぬ姿で新居浜を見守る。
新居浜西高校の皆さんは、口屋を始点として発達した商店街をテーマに、2023年1月26日(木)のフィールドワークで本町通り・昭和通り・登道商店街と発展した順番に街を歩いて、新居浜の街の栄華や今日の商店街について学びを深めました。新居浜西OBである講師や同行いただいた先生方の思い出話を聞きながら、移り変わる街の様子を思い浮かべることができました。
参考文献