四国中央市


12月17日に予定しておりました「第4回 東予歴史トリップ 四国中央市~真鍋家住宅~」は、残念ながら雨天のため中止となってしまいましたが、ガイド役の川之江高校の生徒の皆さんが調査を重ねて作成したガイド原稿を元に、当日予定していたルートをご紹介しますので、ぜひ現地に足を運んでいただき、その魅力を感じていただければ幸いです。

 

令和4年度「第4回 東予歴史トリップ」

四国中央市~真鍋家住宅~

 

□ 開  催    予  定: 12月17日(土)10:00~12:30※雨天により中止

□ ガイド担当校: 川之江高校

□ ご   協   力: 真鍋家16代当主 真鍋潤 様、真鍋博 様

          切山自治会長 参鍋修一様

 

川之江高等学校生がガイドをつとめる2時間半の歩きツアー、東予歴史トリップ、四国中央市切山地区で企画した真鍋家住宅編のルートマップ

 

[スタート] 切山にこにこ市直売所

四国中央市の東部、香川県との県境にある切山地区には、平家が身を隠した伝説や平家ゆかりの遺跡が数多く残っています。

国の重要文化財にも指定されている、愛媛県最古の民家とされる茅葺き屋根の「真鍋家住宅」、この地域に多く自生するカゴノキの幹に彫られた「生き木地蔵」や、かつての学校跡地など、歴史ロマンたっぷりのコースをご紹介します。

「切山にこにこ市直売所」を出発して「①平治稲荷神社」に立ち寄り、細い道に入り、真鍋家の守り神「②真鍋神社」に向かいます。そこから県道に出て、景色を楽しみながら進み「③生き木地蔵」に向かいます。そこから折り返してかつての学校跡「④平家慰霊碑庭園」で龍の目玉などを見学し「⑤真鍋家住宅」まで進みゴールとなります。

 

①平治稲荷神社

急な階段の先にみえる祠が、平家ゆかりの「平治稲荷神社」です。四国中央市金生町山田井の切山地区には「平家伝説」が残っています。時は平安時代、1180年から1185年の壇ノ浦の戦いまで約5年間繰り広げられた、源氏と平氏の争い「源平合戦」で一ノ谷の戦いの後、源氏から逃れた安徳天皇が半年間を過ごしたといわれており、安徳天皇や、天皇を護衛した「五士」と呼ばれる5人の武将にまつわる神社などの遺跡群が多く残っています。

令和3年(2021)に制作したデジタルポスターでは、毎年10月の第1日曜日に行われる切山地区の秋祭りでお供えされた、棕櫚(しゅろ)の葉で2本1組に縛った竹筒に入れた甘酒と、赤飯のおにぎりを撮影しました。棕櫚と聞くと、あまりなじみがないかもしれませんが、ヤシの木をイメージしていただくと分かりやすいと思います。

何百年も前から受け継がれているこの風習や神社、そして伝統を守るため、地元の「切山自治会」や、地域内外の方々が参加している団体、「切山平家遺跡保存会」の皆さんが日々活動されています。切山地区を愛する人々の思いと努力に感謝したいです。

実際に安徳天皇が身をひそめた場所は、さらに山深いところで、そこには「安徳の窪」や「院の墓」等、ゆかりの遺跡があります。距離が離れているため、今日のツアーではご案内できませんが、機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。

 

②真鍋神社

「真鍋神社」は、安徳天皇を護衛した平家の「五士」が関係しています。

五士とは、平清盛の孫 田邊太郎平清国(たなべ たろう たいらのきよくに)、平清盛の八男、真鍋次郎平清房(まなべ じろう たいらのきよふさ)、参鍋三郎平清行(さんなべ さぶろう たいらのきよゆき)、間部藤九郎平清重(まべ とうくろう たいらのきよしげ)、伊藤清左衛門国安(いとう せいざえもん くにやす)の5人の武将のことです。

元暦元年(1184)6月、 五士とその一族が幼い安徳天皇を守り、阿波国(現:徳島県)の祖谷から、山道を歩き続けて切山に辿り着きました。安徳天皇は、半年間、切山で過ごした後、平知盛(たいらのとももり)や平教経(たいらののりつね)らの迎えをうけ、讃岐国(現:香川県)詫間の須田ノ浦から船で長門国(現:山口県)下関市赤間へ向かったそうです。

切山地区には五士を祀る地神宮がそれぞれあり、ここ真鍋神社は真鍋家の地神宮になります。五士の真鍋次郎平清房は切山の真鍋一族、同じく五士の参鍋三郎平清行は切山の参鍋一族の先祖といわれており、今もなお、五士の一族が、この切山の地を守り続けています。

 

③生き木地蔵

この辺りには、樹皮が鹿の子供の模様に見えることから「鹿子の木(カゴノキ)」と呼ばれる木が自生しています。「生き木地蔵」は、そのカゴノキに直接彫られたお地蔵様です。その昔、切山を訪れた弘法大師が自作の像をたてたことがはじまりと伝わっています。

江戸時代中期の享保16年(1730)に、仏師の鈴木庄兵衛によって彫られたという記録が残る先代の生き木地蔵は、鈴木庄兵衛が夜中に切山に来て彫り始め、朝の一番ドリが鳴くまでの一夜で彫られたという言い伝えが残っています。

拝むと耳の病気が治ったなど、願い事を叶えてくれるということで、古くからご利益があるお地蔵様として多くの方々がお参りされていました。

しかし年月がたち、カゴノキが枯れて腐食が進み、朽ち果てようとしていました。そこで「切山平家遺跡保存会」が、香川県観音寺市の仏像彫刻師 荻田文昭(仏師 凡海)さんにお願いし、昭和54年(1979)に復元されたのが、現在の生き木地蔵です。

木に直接彫られているため周辺の樹皮が厚くなり、お地蔵様が隠れ始めたので、平成14年に1度修復されています。こうして今も、地域の皆さんによって大切に守られています。

 

④平家慰霊碑庭園(山田井域分教場跡)

「平家慰霊碑庭園」入口には、明治45年(1912)に設置され、真鍋家のご当主、真鍋潤さんと博さんも通われていた「山田井尋常小学校 山田井域分教場」という小学校の石柱の校門が残っています。

その奥には、平成15年(2003)に上水道が通ったことを記念して建てられた石碑や「龍王の目玉」があります。山の上にある切山地区は、水がとても入手しづらい場所でした。水が必要なときは、下の沢まで歩いて降りて汲みに行ったり、雨水をためて使っていたそうです。水にまつわる歴史として、ここから800メートルほど登った場所にかつて、真夏でも枯れたことのない泉があり、人々はこの水を「龍王の水」と呼んでいたそうです。そして、雨をつかさどる神として龍神様がまつられていて、日照りが続いたときには、雨ごいをしていたそうです。毎年旧暦の6月15日、現在では7月15日に幟をたててお祭りが行われているそうです。昔は、池の水が枯れはじめると、龍王神社で雨ごいをし、清水を汲みとり、踊り子道という山道を下り、池まで運び入れて、雨が降るまで踊り続けたといわれています。これを「龍王雨ごい踊り」といい、今でも地元の小学生たちが受け継いでいます。

 

⑤真鍋家住宅[ゴール]

真鍋家住宅は、およそ450年前の安土桃山時代後期に建てられたものと推定されており、昭和45年(1970)6月に、国の重要文化財に指定されました。

修復をしながら代々大切に継承されてきた真鍋家住宅の間取りは「中ねま三間取り(みまどり)」と呼ばれ、「にわ」にそって「なかのま」「おく」、その奥の「ざしき」があります。「なかのま」にある囲炉裏は心臓部といえ、そこから出る煙には柱を丈夫にし、防虫効果があるといわれており、家屋全体に空気が対流するように設計されています。寄棟造りの平屋で、茅葺屋根は20年に1回ふき替える必要があり、最近では3年前の平成31年(2019)に葺き替えられました。令和3年(2021)に制作したデジタルポスターでは、真鍋家住宅を囲うように生えた様々な樹木が防風林としての役割を果たしている「要害の森」を紹介しています。

真鍋家16代ご当主の真鍋潤さんは、地元の広報活動として、真鍋家住宅での勉強会や演奏会の実施を支援しています。そして、真鍋博さんや参鍋さんをはじめとする地域の皆さんが丁寧に管理をされて、真鍋家住宅は公開されています。真鍋家住宅は、切山地区のシンボルとなっており、平家伝説などを含めた歴史を伝える役割を担っています。

 

 

リハーサルの様子